最近、ふと思うことがある。
「幸福度」とは、もしかしたらゼロサムゲームなのかもしれない、と。
ゼロサムゲームとは 参加者の得点を合計すると必ずゼロになる。つまり「奪い合い」形式のゲームのこと。
いやいや、幸福は奪い合いじゃないよ!
ほとんどの方が、このように反応されると思います。
僕も、そう思っていま・・した。つい、半年前までは。
でも実際は、どうでしょうか。
例えば。
自分と同僚が同じように頑張ってきた中で、同僚だけが昇進した。
もちろん、自分自身の立ち位置は何も変わっていないし、なんなら年度が変わってちょっとお給料は高くなっているかもしれないのに、なんだか「幸せを失った気分」になることはないだろうか?
例えば。
自分は遊ぶのも我慢してコツコツ仕事を続けてきたのに、隣で遊んでばかりいる同級生は宝くじを当てて遊ぶことをやめようとしない。
もちろん、自分自身は同じように仕事をし、それなりにやりがいもあり、お給料もしっかりもらえていて「何も変わっていない」はずなのに、なんだか「幸せを失った気分」になる。
例を挙げればキリはないけど、自分自分の幸福度は理論上、何も変わっていないはずなのに、
他人の幸せを見ると、何だか自分が幸せでないような気持になってしまう現象。
それが、嫉妬心なのか、劣等感なのかは分かりませんが、他人の幸福が自分の幸福度を下げるという現象は、確かに「普通に存在する」ものだということは、経験的に理解できるようになりました。
(もちろん、親しい友人の幸せそうな姿を見て、自分も幸せを貰ったよ!みたいなことも、たくさんありますよね♡)
そういう意味で、
幸福度は完全なゼロサムゲームではないが、ゼロサムゲーム的な要素を含んでいる
これが、今時点の僕が出した結論。
そして、
このゼロサムゲーム的要素の割合は、意識の作り方で下げていくことが可能。
と考えています。
幸福度ゼロサムゲームから抜け出す方法
答えはシンプルで、他人の幸福度と自分の幸福度を切り離して考えることです。
ただ、やるのが中々難しい。
僕理論では「社会的幸福と内面的幸福」の区別と「今感じられる幸せをしっかり受け取ること」なのですが、それぞれの話だけで長編記事ができそうなので、それは改めて書きたいと思います。
とはいえ、まず「幸福度はうっかりするとゼロサムゲームに引っ張られてしまう」ということだけでも理解できていれば、今後の「他人の幸せ」の受け止め方が変わってくると思います。
他人の幸せにより自分をわざわざ不幸にすることもなく、できれば他人の不幸を祈ることもなく。
自分自身の幸せを追求していく考え方を、鍛えていきたいと思います。
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