「自由を手に入れる」を主題に書き進める本ブログですが、結局のところ自分自身が幸せになるための道を探しているわけです。
自由は、幸せになるための手段なので、目的に忠実になるならばこのブログのタイトルは「幸せを手に入れる」という言い方のほうが正しいのかもしれません。
いくらお金があっても、幸せになれない人たちを多く見てきました。
時間も、人間関係も、土地も家も、、沢山持っていることが「幸せ」かと言われると、それを幸せだと思う人はいるのかもしれないけど、少なくとも僕はそうではない。
そんなことを考えながら日々を過ごしていると、幸せを手に入れるためのキーワードがいくつか、分かってきました。
循環
「ありがとう」は循環します。「ありがとう」を伝え続けていると、「ありがとう」が返ってくるし、「ありがとう」と言ってもらえるような行動を取っていると、自分も「ありがとう」と言いたくなるようなことをしてくれる。
同様に「ごめんね」も、「優しさ」も、お土産もお手伝いも、「良いもの」が普通の人間関係の中に生まれ続ければ、「良いもの」は自然と循環を始めます。
逆に言えば、良かれと思うことを続けているのに循環が始まらないということは、その程度の相手であったり、「良かれ」が独りよがりだったりするので、よく状況を観察した方が良いです。
ちなみに、「コノヤロー!」「バカヤロー!」も循環します。こっちのほうが循環しやすいですね。
受容
特に「幸せの受容」は大事ですね。これは僕のパートナーでもあるなっちゃんが教えてくれたことなのですが、多くの人は幸せを願いながらも、実際に大きな幸せが目の前に現れてしまうと、
『ちょ・・ちょっと待って!今はまだそんなに幸せになっちゃダメ!』
と思ってしまう人が多いのです。
日本人の特性なのか分かりませんが、やっぱり苦労してると安心感ありますもんね。
でも、幸せを受容しないなんて、勿体ない。
自分を認めてくれるパートナーがいる幸せ。
安心して寝られる家と布団がある幸せ。
おいしいものを食べられる幸せ。
ぜんぶ、真正面から受け取れば、今日からでも幸せになれます。
選択
何事も自分で選択をしなければなりません。
「自分は幸せになれない!」と言っている人によく見られるのが、自分の意思で決めず流されて、被害者になってしまっていること。
本当は「流される」という選択を、自分でしているだけなんですけどね。
自分を不幸にする人間関係は、強い意志で「距離を置く」という選択をしなければなりません。
行きたくない誘いは、断る権利があります。
誰かの「お願い」はお願いなので、私たちには「拒否」する権利があります。
街角で募金を「お願い」されて、募金する気持ちになれなければ、スルーするように、
他人のお願いはあくまで他人の都合なので、自分の意思で「選択」をしなければ、いつまでたっても幸せは逃げていきます。
『あなたがお願いする気持ちはよく分かりました。でも、私はそうしたくありません。』で万事OK。
もちろん、コンサート会場などで「お静かに願います」と言われたら、静かにするんですけどね。物理的に迷惑をかけてはいけません。
※そういう意味では執筆時点で流行している(ことになっている)新型コロナウイルスに関しては、本当に「物理的な迷惑」をかけているのかどうか、よく吟味する必要がありますね。
比較
多くの人は、幸せを他人と比較します。
年収が400万円あれば、600万円の人を羨ましく思い、600万円あれば、1000万円の人を羨ましく思います。
自分の妻より美人な奥様を連れた友人を羨み、海外旅行をする同僚を羨み、ブランド財布を買った後輩を羨むものです。
「隣の芝は青い」とは正にこのことで、自分より幸せな人を探しては、自分が不幸であると認識してしまうのが人間の本能?なのでしょうか。
でも、年収400万円でも、上手にやりくりすれば自由なお金は作れます。そのお金で美味しいものを食べ、国内旅行に行くことだってできます。一緒に旅行を楽しんでくれる妻がいます。5000円でも機能性の高い財布は買えます。それで十分、幸せではないのですか?
「他人と比較しない」
たった1つの心掛けだけで、人は十分、幸せになれます。
『アイツは海外旅行に行ったのに、お前は国内で満足なのか?』
そんなことを言ってくる人がいたら、「もちろんです!めっちゃ楽しかったです!」と、返してあげましょう。
幸せはすぐそこにある
「幸せ」のハードルは、そんなに高くありません。
まず自分から循環のきっかけを作り、そこにある幸せを受容し、自分の責任で選択し続ける。
幸せは本来、すぐそこに、あります。
大事なキーワードは、他にもたくさんありそうですね。
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