熱を出した妻、変わらず出社する僕。

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一昨日、誕生日を迎えた妻の頭痛が、時間とともに段々と酷くなっていき、昨朝になって高熱が発覚した妻。

僕は会社員であるがゆえに、寝込む妻を一人、家に置いて会社に行く。

昨日は結局、帰宅したのが21時ごろになってしまったんだけど、たった一人で熱と戦い続けた約12時間。

妻はどれほど孤独だったのか、いやひょっとしたら、一人の時間を楽しんでいたのだろうか。

体調わるそうな妻(イメージ映像w)

「僕は会社員だから会社に行く」と、当たり前のように書いてみたものの、それは当たり前のことのようで、よく考えてみれば当たり前のことではないと思う。

僕は会社員である以前に、妻の夫であるわけだから、妻の体調が悪い時に家に残る手段も、あったはず。

僕は、自分の意思でそれを選ばなかった、というだけ。

人生は常に選択の連続で、常にトレードオフで、常にグラデーション。

長く生き、多くを経験すればするほど、そう強く感じることが増えていく。

例えば、僕が「妻のために」と会社を放り投げて家で看病をしたら、どうだろうか。

妻の性格上、嬉しく思う反面、『会社の人達に申し訳ない』という感情に襲われる可能性だってあると思う。

僕が管理職をしている関係もあると思うが、妻が体調不良であっても、僕はいつものように会社に行く。

(それはもちろん、一人で何とかなりそうなレベルの体調不良だっから、だけど)

これは『気を遣わせないことが優しさなんだ!』とか豪語したい話ではなく、僕は日頃のコミュニケーションから、おそらくそれが最適であろうと思って判断をしたわけだし、それが最終的に最善の選択だったかどうか等は、分かりようもない。

分かりようもないから、色んなことを想像して帰宅し、声を聴き、判断を試みる。もちろん、全てを分かることはできない。

コミュニケーションで問題を解決することはもちろん大事なことでもあるが、コミュニケーションにより相手に選択を迫ることも、時に苦しみを与えることになる。

最適解が分からないからこそ、「もしかしたら辛かったかもしれない」「あの時は良いと言ってくれたけど、結果の感情は違うかもしれない」と思える。

だから、その瞬間の言葉・表情をよく見て、考えて、言葉を選ぶことができる。

コミュニケーションに答えはない。

仮にそれがあるとすれば、

「答えだと思った発想に騙されてはいけない」ぐらいだろうか。

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MANUAHIMAN

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