既知還元症候群 という言葉がある。
何か、新しい情報に触れた時。
『あぁ、あの●●みたいなものですね』
と、自分が既に知っている何かに置き換えて、考えようとする行動(癖?)こと。
僕の人生経験の中では、人間は「知らない」を持続することは難しい生き物だと思う。
「知らない」と思えば知りたいと思うのが人の心だし、頑張って知ろうとするものだ。
一方、知ろうとして頑張ってもなかなか理解に至らないものは「自分には興味がない」「関係ない」「知らなくても生きていける」「こんなこと知ってて何になる」と、知らない状態を正当化し、知りたいの対象から外していく。
「知りたい」を埋めていくもっとも手っ取り早い方法が、既知還元。つまり、
『あぁ、あの●●みたいなものですね』
と、記憶にあるものに置き換えていく方法。
これは、単なる作業なので、実に簡単で、一瞬にして片付いてしまう魔法だ。
だけど、この魔法には致命的な欠点がある。
何かを知るときに、過去に知っている「あの●●」とは、少なくとも何らかの違いがあるわけで、
既知還元の発想が癖になってしまうと、この「貴重な相違情報」を見落としてしまうという、欠点。
おそらく、多くの人は思うだろう。
『いやいや、違いを認識してるんだから、ちゃんと共通点と違いを分かってますよ。』
と。
『あの●●と同じようなものね。で、ここが違うんだね。』
と。
こうして、人間はあらゆるものを「知った気に」なり、前述のように「知らなくて良いと判定したものは忘れていく」ことで、「知らない」というストレスから身を遠ざけている。
似たようなものの「違い」に気付くことで、「違い」を分かった=知らないことが無くなった と思えれば、その新しさに対する不安は、取り除かれるからね。
Web技術の発展により、「答えらしきもの」には簡単にたどり着けるようになった現代。
本来、一つ一つのモノは異なり、一瞬一瞬の時はすべて異なるはずなのに、人間はあたかもすべてを知っているかのような振る舞いをする。
それが、本質を見失う盲目のスタートラインであることにも、気づかずに。
全ての瞬間にすべての角度から物事を観察することは、できない。
それが分かっているだけでも、本質を見失うリスクは大きく避けられると思うし、
それを「分かっている」と考えることもまた、ある種の盲目なのかもしれない。
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