急な受注増で人数不足が続き、余裕がない組織。だから学びの機会もなかなか作れない。
なんとか研修の機会を作ろうにも、急なトラブルなどで流れてしまう日が続く。
そんな状況下、1名の中途社員が入社した。
『もっと研修の時間を持った方が良い』
と、彼は既存従業員に対する研修の準備を始めた。
そりゃ、そうだ。1名増えてるんだから、そういう余裕もできた。だから、今はそれができる。
待ってました。ぜひ、お願いしたい。
しかし、彼はこう言い放った。
『過去の管理職は研修の機会を設けてこなかった。でも、私はその機会を設け、組織を改善した。』
確かに、それは正しいようで、正しくない。
本質的に組織を改善したのは、彼を連れてくることで本質的に「研修の機会を持てるほどの余裕」を作った管理職だ。
でも、その事実を持って戦ってしまっては、管理職としては失格だ。
なぜかと言えば、その戦いには「意味がない」からだ。
彼が、自分で組織を改善するんだ!と、そのやる気を維持し、上手く利用する姿勢が、プロの管理職というものだ。
「今まではこういう事情で出来なかっただけだよ!!」という言い訳は、過去を眺めているだけで、何も生まない。
戦っては、いけない。
戦うのは、戦わなかったことで状況が悪化する場面だけで良い。
もし彼が入社したタイミングで、1名の退職者が出て「元の余裕度」に戻ってしまったら?彼は、同じように研修の時間を作れていただろうか。
「作れていたかもしれないし、作れていなかったかもしれない。」
それが答え。
自分の目に見えている状況変化が、場の条件を決定する「全て」だと思い込んでいるから、戦うという姿勢が生まれるわけであって、
戦うという行為は、視野の狭さを表現していることとイコールである。
フラットな目線で見れば、あらゆる可能性があり、そもそも検証不可能な事実において、男は戦ってはいけない。
これが、僕の意見。
男には、戦ってはいけない時がある。
※発言などはフィクションです(笑)。中途社員が研修を始めたことは事実ですが、ちゃんと配慮しながら進めてくれる、素晴らしい視野の持ち主です。
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